2008年1月30日水曜日

クレイ・マーメイド

 文化祭に「大切な物」を展示する企画があった。我が柔道部の企画だ。文化祭は体育系のクラブは部外者みたいに考えられているので、何かで参加しようと主将が提案したのだ。
「大切な物」ねぇ・・・。俺は家の中を見回した。俺の大切なアイちゃんのCDや写真集なんて恥ずかしくて出せないし、第一、盗られたら困るじゃないか。何か適当な物でお茶を濁そう・・・。

 果たして、展示物は冗談の展覧会みたいな物だった。
「小学校に入学して最初に割ったガラス」を出した友人、「中学時代の失恋の記念品」と言う題で潰れたハート型のオルゴールを出した後輩、「私のベストコレクション」と題して手編みのベストを数枚展示したマネージャー、ちなみに、我が部のマネージャーは男子だ、そして主将は部員全員の集合写真(おいおい)。
俺は、お袋のタンスの上で埃を被っていた人魚の置物を出品した。題して「家宝」。
ものすごく軽い、高さ5センチほどの陶器の置物だ。人魚は美女とはほど遠い、ぽっちゃりした顔の女の子。胸は彼女が両手で抱えている玉で隠れているが、多分、ぺったんこだ。彩色は素人くさい塗り方で、上手とは言えない。この置物の由来を俺はお袋から聞いたことがなかった。多分、100均で買ったのだろう。

 文化祭の二日間、毎日この人魚を眺めている小父さんがいたと、後輩に聞いた。ずっと棚の前で身をかがめて人魚だけ見ていたのだと言う。世の中には変わった人がいるもんだ、と思ったけど、気にしなかった。
文化祭が終わって、後片付けをしていると、顧問に呼ばれた。
柔道場の教官室に行くと、小太りの男性が顧問と向かい合って座っていた。
顧問は俺を見ると、困惑した表情で言った。
「こちらは、Kさんとおっしゃって、君が出品した置物を売って欲しいと仰るのだ。」
俺は、ぽかんとして男性を見た。男性は眼鏡の奥で目を輝かせて、俺に言った。
「あの人魚の置物を売ってください。いくらでも払いますから。」
俺は顧問を見た。
顧問は俺と男性の両方に聞かせるように言った。
「文化祭は営利目的でしているのではありません。模擬店以外の場で生徒の作品を販売することは出来ません。」
「そこを何とか!」
男性は俺たちに頭を下げた。 顧問は俺に問いかける視線を投げかけた。
「あれは、高価な物なのか?」
「いいえ!」
俺は首を強く振った。
「うちで埃をかぶっていた安物ですよ。」
顧問は男性に言った。
「何度も申しますが、生徒の作品を売ることは出来ません。今日はお引き取りください。」
俺は、ひょっとして何か特別な置物なのだろうか、と期待した。
一攫千金のチャンスか?
しかし、顧問は頑として男性の要求を受け入れず、生徒に個別に接触しないようにと言い含めて帰らせた。俺も、彼から接触があればすぐに学校の連絡するように、と言われた。きっと顧問は男性がまともでないと思ったのだろう。
誰の目にも、あの人魚はただの安物の置物だったから。

 家に帰って、お袋にその話しをした。お袋は、最初ふんふんと軽く聞き流していたが、男性の名前を聞いて、一瞬遠い目をした。
「その人は、Kさんと言ったのね?」
「うん、顧問はそう呼んだよ。お袋、知ってるの?」
「多分・・・ね」
その週末、お袋は俺に小さな紙箱と手書きの地図を渡した。小遣いもくれた。
「これをKさんに届けてあげてちょうだい。」
「何、これ?」
「あの人魚よ。お遣いが済んだら、CDでも買っていいわよ。」

 あの男性は、お袋の幼馴染みの兄貴だったそうだ。お袋の幼馴染みは子供時代に事故で亡くなっていて、それ以来交流がなかったそうだ。人魚の置物は、その幼馴染みをモデルにしてお兄さんが作り、その友達が亡くなる前にお袋にくれたのだった。
 俺は、人魚が貴重なアンティークでなかったことに少しがっかりしたが、小父さんの嬉しそうな顔を見て、なんだか得をした気分になったのだった。

2008年1月28日月曜日

リーフ・ドラゴン

 このところ、収穫直前の豆を荒らす不逞の輩がいる。豆の鞘を剥いて、そのまま豆を捨てていくんだ。食べるとか、盗むとか、そんなんじゃない。ただ剥いて捨てる。けしからんと思わないか? 食べ物に対する冒涜じゃないか!
 そこで、俺はある晩、張り込むことにした。
 
 そいつはやって来た。真夜中、人目を忍んで、いかにも怪しい素振り。畑の中に踏み込むと、いきなりその辺の豆をむしっては皮をむき始めた。
 俺はそいつの後ろに忍び寄り、いきなり首根っこを捕まえた。
「おい! 豆泥棒、俺の豆になんてことをしやがるんだ!」
 男は「ごめんなさい」と繰り返し叫んだ。
「探していたんです、どうしても見つけたくて・・・」
「何をだ?」
「リーフ・ドラゴンです。」
「はぁ?」

 その時、近くでパキッと言う音が聞こえた。小さな小さな音だったが、俺にも男にもはっきり聞こえた。
俺は音がした方向を振り返り、月明かりの下で、一本の豆の鞘が割れるのを見た。
小さな生き物が顔を出した。
俺と男は同時に叫んだ。
「蛇だ!」
「ドラゴンだ!」
俺は男に向き直った。
「ドラゴンだ? あんな小さなドラゴンがいるものか!」
「だけど・・・」
男が哀しそうに言った。
「それが、リーフ・ドラゴンなんです。」
そして彼は俺に指摘した。
「ほら、飛びますよ!」

 鞘の上で、小さなドラゴンが翼を広げたところだった。本当に、翼だった。先っぽに爪が付いてる、ドラゴンの翼だ。
ドラゴンは深呼吸するみたいに、体を前後に伸ばし、縮めて、それから、ポッポッと鼻から火花みたいな火を吹いた。翼をぱたぱたと動かしたかと思うと、ふわっと宙に浮かんで、そのまま月の方へ飛び去ってしまった。

「ね? ドラゴンだったでしょう?」
と男が言った。
「あれを見るとね、一年以内に穏やかに死ねるんだそうです。私は病気で、余命半年だって言われてます。これで、安心して逝けますよ。」

2008年1月21日月曜日

今朝の事故

今朝午前6時3分頃、玄関脇の野菜ボックスの上で、お弁当に入る順番待ちをしていた蜜柑の列に白菜が倒れ込み、蜜柑数個が白菜の下敷きになる事故が起こりました。蜜柑は直ちに救出されましたが、うち一個は全身を強く打っており、またもう一個は外皮及び内袋破裂で、間もなく破棄されました。

2008年1月5日土曜日

ジョナス

 ジョナスは、ジョナサンと言ったが、母はジョナスと呼んでいた。ジョンでもジョニーでもなく、ジョナス。
母方の親戚は、母が彼を拾ったのだと言っていた。母と私が暮らしていた緑の屋根のプール付きの家に彼が転がり込んできたのは、5年前の五月。親戚も近所の人も、いい顔しなかった。ジョナスは肌の色が違ったから。
私も出来るだけ近づかないようにした。母が彼を「パパと呼んで」と言ったときは、はっきり「嫌よ」と応えた。ジョナスは黙っていた。
 彼が何の仕事をしていたのか、今でも知らない。彼は昼間家にいなかったし、夜も遅くなることがあった。母も働いていたから、私の生活は、以前とそれほど変わらなかった。変わったと言えば、休日はいつも三人になったし、母は私に気を遣っていたけれど、以前より笑うようになったことだった。それは良いことだと私も認める。
 私の父親はろくでもないヤツだった。飲んだくれて母を殴り、喧嘩をしては警察の世話になっていた。母はあいつが終身刑の宣告を受ける迄、本当に苦労したんだ。
ジョナスが母を大切にしてくれるなら、それもいいかも知れないと、いつか思うようになっていた、ある日。

 ジョナスが私を迎えに学校に来た。校長と話しをして、校長が何故か私を見て涙ぐんだ。
ジョナスは私を車に乗せ、母方の祖母に家に連れて行った。彼はそこでは招かれざる客であったが、その日は黙って迎え入れられ、祖母は私を抱きしめて泣いた。私は、母に何かがあったのだと、悟った。
 ジョナスは祖父と少し言葉を交わし、祖父が怒ったような顔をした。ジョナスは私の元に来て、「いい子にしていなさい」と言った。「愛しているよ。」とも言ったが、私は祖父母がいたので黙っていた。
ジョナスは祖母の家を出て行った。それが彼を見た最後だった。
 彼は母の葬儀に来なかった。来たくても来られなかったのだろう。母は白人専用の墓地に埋葬されたから。警察が墓地や緑の屋根の家や祖母の家の周辺を巡回していた。

 街で殺人事件が立て続けに起きた。警察が何度か私のところに来て、ジョナスから連絡がなかったかと尋ねた。全くなかった。ジョナスは私の人生から既に姿を消していたから。
 殺されたのは、3人、全部白人の男たちで、日頃からカラードに暴力行為を行っていた連中だった。ずっと後になって知ったことだが、母は彼らに殺されたのだった。母がジョナスと夫婦になったことが、彼らには気にくわなくて、「制裁」を与えたのだ。彼らは、本当はジョナスを痛めつけようと家に来て、でも彼は留守で、母がたまたま帰って来ていた。
 警察は、ジョナスが報復をしたのだと信じている。彼は指名手配され、今も見つからない。
私には、わかっている、彼は二度と私の前には現れない。私を守るために。
私は祈る。彼が永遠に逃げ続けられるように。そして、どこかで立ち止まって、私たちのことを忘れて新しい生活を手に入れてくれているように、と。