2008年3月31日月曜日

セカ

 セカは瀬尾香里のあだ名で、性格も結構せかせかしていたから、同級生たちは彼女をそう呼んでいた。なんでもやることが早い子だった。朝登校するのは一番乗り、テストをやってしまうのも、駆けっこもいつも一番、先生に言われた用事を片づけるのも一番、下校も一番だった。セカの家はお父さんが戦死したので、セカはお母さんを手伝って家事をして弟妹の世話をした。だから、同級生と遊ぶ時も、少しだけで、夕方は早く帰ってしまった。
「セカは、頭がいいから、何でも早く出来るんだよ」
と先生は言っていた。
「だけど、もう少しのんびりさせてやれないものかな」
 みんな、頭が良いセカは高校へ行ってもっと勉強するものと思っていた。だけど、中学を卒業するとすぐに彼女はお嫁に行ってしまった。夫となった人は年輩でお金を持っていた。セカは実家を助ける為に嫁に行ったのだと、同級生たちは同情した。
 みんなが高校生活を楽しんでいる頃、セカは母親になって毎日忙しく働いていた。なんでも、夫には亡くなった先妻との間に既に二人も子供がいて、その世話もしていたと言う。
 同級生の誰かが大学まで行き、別の誰かが結婚した。お祝いを持ってきたセカは、「私、お祖母ちゃんになるの!」と言って笑った。義理の子供が結婚したのだと言う。
「いくらなんでも、ま早すぎるじゃない」と言ったら、「そうかな」と言って、また笑っていた。
「だけど、私、毎日楽しいもの。そのうちのんびりさせてもらうわ。」

 古希の祝いを兼ねて同窓会を開いた。卒寿を迎えた恩師も健在で出席してくれた。
「みんな、元気でなによりだ」
と先生は笑ったけれど、席が一つだけ空いていた。だけど、そこにもみんなは料理を並べた。

 30代前半で逝ってしまったセカの席だった。

「何を急いでいたんだろうね」
「短いって知っていたから、急いだんじゃない?」
「きっと今頃はのんびりと上からここを眺めて笑ってるわよ」

2008年3月30日日曜日

覚えてる?

「あの草むら、覚えてる?」
「なんだっけ?」
「2年前、むっちゃんが殺された所」
「・・・」
「学校の帰りに、むっちゃんがいなくなって、探したら、あそこで死んでたんだ」
「ああ・・・でも、もうその話・・・」
「手を縛られてさ・・・」
「知ってるから・・・」
「服脱がされてて・・・」
「止めてよ」
「顔、石で殴られて滅茶苦茶で・・・」
「止めてって、言ってるでしょ!」
「犯人、まだ逃げてるんだ」
「誰だかわからないのよ」
「覚えてるよ」
「何を?」
「右腕に蛇の刺青があるの。コブラかなぁ」
「何の話?」
「石を振り上げた時、袖が下がって、見えたんだ、コブラ」
「だから、何の話してるの?」
「覚えてるよ、私。目がつり上がった、あの男の顔。パーマかけててさ」
「カヨちゃん?」
「私? むっちゃんよ」
「!!!」

 恐かった。夢中で走ってその場を離れた。カヨちゃん、どうしちゃったんだろ? 冗談にしても、質が悪すぎる。
 次の日、カヨちゃんは普通だった。草むらの話なんか覚えていなかった。
だけど、あの夕方の話が頭から離れなかった。下校時、公衆電話から警察に電話をかけた。自分で何を喋ったのか、よく覚えていない。ただ、カヨちゃんが喋った刺青の話をしたんだ。お巡りさんが信じてくれたかどうか、知らない。名前を聞かれて、我に返り、電話を切ったから。

 むっちゃんを殺した犯人は、一月後に捕まった。右腕にコブラの刺青があったんだって。
 むっちゃんのお母さんが、「三回忌に間に合って良かった」って泣きながら言ってた。

2008年2月19日火曜日

バス停お婆

 大学正門前に行きたいって? じゃ、バスで行きなよ。タクシーで行っても、そんなに時間はかわらないよ。道が狭いからね、すぐに前のバスに追いついて、追い越せないまま目的地に着いてしまう。
小銭がない? 一万円だけ? ああ、両替はしてやれないよ、僕も小銭を切らしている。
だけど、大丈夫だ。バス停に行けば、バス停お婆がいる。
ほら、24枚綴りの回数券ってあるだろ? そう、駅前のオフィスで2000円で売ってる、あれ。あの回数券を一枚ずつ、100円で売ってる婆さんがいるのさ。まぁ、ダフ屋と言えばダフ屋かな。だけど、バスの中で両替して運転手に舌打ちされるよりは、ましだろう。
婆さん、身なりは悪くない。着ている物は古いが、ボロじゃない。それに回数券買う金を持っているんだから、そんなに貧乏でもないんだろう。
婆さんの回数券は、8枚1000円だ。割高だが、急いでるヤツは買う。婆さんは2000円で24枚買って、3000円で売るわけだな。一枚100円でも売ってくれるが、それなら現金でバスに払うよな、普通。
お婆は、客の顔を覚えてるから、普段定期券を持ってる人には売りつけない。だから、僕はお婆の客じゃなかったんだが、ある時・・・

 雨の日で、僕は大学正門前からさらに3つむこうの赤井神社の会館に行く用事があった。実はゼミをさぼってバイトに行く予定だった。定期券の範囲を超えるから小銭が必要だったが、持ち合わせが1000円札5枚しかなかった。テント張りのバス停の屋根の下で待っていると、お婆が現れた。他に客がいなかったので、がっかりした様だ。雨を避けて、お婆もテントの下に来た時、僕は声をかけた。回数券を1000円分売ってくれって。お婆は不審そうに僕を見た。僕が定期券利用者だと知っていたんだ。僕は、赤井神社に行くのだと言い訳した。
 すると、お婆はこう言ったんだ。
「定期券で、正門前まで行って、そこでバスを降りればいい。神社までは歩いて行けるだろ、若いんだから。」
 確かに歩いて行ける距離だったが、上り坂だし、雨降りだ。僕は嫌だった。金を払うのはこっちなんだから、素直に売ってくれればいいんだ。確か、そんな生意気なことを言ったと思う。
お婆は怒らなかった。怒る代わりに、ひたすら回数券を売ることを拒んだ。
「いい若いもんが、怠けるんじゃないよ。苦労は買ってでもするものさ。」
腹を立てたのは、僕の方だった。それならいい、二度とあんたからは買わない、とか何とか怒鳴って、そこに来たバスに乗った。お婆は僕の背中に向かって、「正門前で降りるんだよ」と言ったが、僕は聞こえないふりをした。
 バスの車内は満員だった。蒸し暑さと圧迫感でひどく不快だった。僕は赤井神社まで乗るつもりだったが、大学正門前にバスが着いた時、大勢の学生たちと一緒に降りてしまった。
そしてバスの後ろをついて行くように歩道を歩き始めた。

ドカンッと大きな爆発音がしたのは、その数分後だった。前方で火柱が上がった。
僕は仰天して坂を駆け上がった。
バスやタクシーや、一般車両が路上で立ち往生していた。前方の交差点でマンホールが爆発したんだ。多分、ガス漏れだったと思う。
幸い怪我人はなかったが、道路は数時間閉鎖され、バスは立ち往生したままだった。
僕は裏道を通って赤井神社に行ったのさ。

お婆が事故を予言したなんて言わないよ。お婆は僕に売りたくなかった、それだけさ。
予知能力なんてない婆さんだからな。
だから、君が回数券を買うのも、僕が紹介からなんて、婆さんはわかんないだろう。
え? ガス爆発はいつのことだって?
そうだな・・・君が生まれる前だったから、20年以上昔だな。

2008年2月15日金曜日

ヒロミ 2

「私は、林ヒロミさんと言う女性がどんな人か、探しているんだよ。」
「林ヒロミ?」
 山田は社員にそんな名前の女性がいたっけ?と考えた。
島岡が説明した。

息子の拓也が亡くなった時、当然ながらT電機工業の社員たちから香典が届いた。
社内香典は金額が設定されていて、最低で、女性は3千円、男性は5千円を出す。勿論、気持ちのものだから、払う義務はないのだが、拓也は重要な仕事をたくさん受け持っていたし、多くの社員とつながりがあったから、ほとんど全員が香典を出してくれていた。
「その中に、一万円を包んでくれていた人がいてね・・・」
高額の香典に、島岡は最初間違いかと思った。しかし、袋も高額のお金にふさわしいしっかりした物で、黒白の水引も立派な物だった。明らかに一万円を入れることを意図して用意されたのだ。
「その人が、林ヒロミ?」
「うん。T電機・林ヒロミ と書いてあった。」
島岡はショックだった。
拓也は独身だった。ずっと島岡は息子に良縁を望み、本人も結婚を希望していた。しかし女性と仲良くなれるのに、恋愛に行くことは何故か出来なかった。「いい人」「優しいお友達」で終わる男。
40代になると、島岡も拓也も諦めていた。そして、拓也の急死。
「倅に一万円も出してくれる女性はどんな人なんだろうと思ってね。少なくとも、息子のことを、嫌いではなかったのだろう。」
 島岡は、息子が一人の女性にもてた、と思いたいのだろう。
山田は知っていた、拓也は本当にもてたのだ。社内の女性たちは彼を好いていた。ただ、T電機の女性社員の大半は、既婚者だった。「独身だったら、島岡君とお付き合いしたのに」と彼女たちは言っていた。
だが・・・

我が社に「林ヒロミ」と言う女性社員はいない。

 山田は、一人だけ心当たりがあったが、島岡にそれを言う気にはなれなかった。だから、代わりにこう言った。
「小父さん、林さんは確かにうちの社にいますよ。でも、その一万円は、彼女一人で出したんじゃない。最低限度額よりも、まだ拓也君に香典を出したかった人たちが、有志で集めて、一人の名前でまとめて入れたんですよ。それは、拓也君のことを好きだった複数の女性たちの気持ちなんです。」
島岡は、そうなのか、と寂しげに、でも、少し嬉しそうに笑った。

 山田は会社に戻った。
島岡拓也が使っていたパソコンの前で、後輩の社員がせっせと資料を作成していた。
「はかどってるかい?」
山田が声をかけると、彼は振り返って微笑んだ。
「はい、島岡課長が作ってくれたソフトがめっちゃ使い良いので、どんどん仕事が出来ちゃいますよ。」
「君は彼を尊敬していたんだっけ?」
「ええ、兄さんみたいな人でした。僕、大好きでしたよ。男としてね、敬愛出来る上司でした。」
そう言って、林博海はにっこり笑った。

ヒロミ

 やはりそうなのか?と山田は島岡家の暗い玄関を眺めていた。信じられない、あの優しい島岡の小父さんが・・・。
「何か用かい?」
いきなり背後から声をかけられて、山田は跳び上がった。振り返ると、島岡が立っていた。手にはスーパーで買い物でもしたのか、白いレジ袋を下げている。中身は弁当か?
「あ、いや、ちょっと通りかかったもんだから・・・」
ちょっと冷や汗が出た。安堵の汗でもあった。違ったんだ、小父さんじゃなかった、あの報道の「老人」は。
島岡は山田をじろじろ見た。山田の狼狽振りを訝しんだのだ。
「用事があったんじゃなかったのかい?」
島岡は鍵を出して、玄関の戸を開けた。
そこへ、町内会長が通りかかった。
「ああ、山田さん、今夜8時から役員会をするから、頼みますよ!」
「え、臨時役員会ですか?」
「そう・・・川上さんのことでね。」
山田は、自分の勘違いに気づいた。町内会長が行ってしまっても、そこに立ちすくんでいた。
島岡が心配そうに声をかけた。
「どうした、浩一君。気分でも悪いのか?」
「あ、いや、何でもないです。川上さんのことで・・・」
「川上の爺さんがどうした?」
島岡の耳には、まだあの事件は届いていないらしい。
山田は意を決して話しかけた。
「小父さん、ちょっと時間をもらってもいいだろうか?」

 島岡家の座敷は、かすかに線香の香りが漂っていた。小さな仏壇には小さな位牌が二つ。10年前に亡くなった島岡の妻と、昨年急逝した島岡の一人息子拓也のものだ。拓也は山田の同級生で、同じ職場の同僚でもあった。体調の異変に気づき、病院で検査を受けて、一月で死んでしまった。あまりに急な死で、親族は呆然とし、職場は大混乱だった。拓也はかなり重要な仕事をたくさん受け持っていたからだ。45歳、独身のまま働き詰めの短い人生だった。
 山田は焼香してから、島岡にまず事件のことを語った。地方紙に、「○町5丁目で小学生が痴漢に襲われ、容疑者として75歳の男が逮捕された」と言う短い記事が載ったのだ。○町5丁目、まさに、それは山田と島岡が住む地区だった。容疑者の氏名が伏せられていたので、山田はてっきり同年齢の島岡かと疑ってしまったのだ。
 疑ってしまってのには、訳があった。
 島岡はこの半年、ずっと息子が勤めていたY電機工業の社員が出勤する時間になると、門のそばに立って女性社員をウォッチングしていたのだ。女性社員たちは気持ち悪がった。話しかけるでもなし、ただじっと目で追っている。特に悪さをするでもなし、なので、追い払う理由がない。それに、死んだ島岡拓也の父親だと重役たちも知っているから、理由がわからぬまま放置していた。
「小父さんを疑うなんて、僕は最低だ。すみません。」
頭を下げる山田に、島岡は手を振って苦笑いした。
「疑われるような真似をした私も良くなかった。拓也が生きていたら、叱られていただろう。」
あっさり許されて、山田はホッとした。考えれば、以前にも同様の事件を起こしていた川上の方が疑われて当然だった。先月は万引きで捕まっていた。どうやら年齢から来る精神の病気らしい。今夜の役員会は、川上が今後問題を起こさぬように、町内会で川上家をバックアップする方法を考える話し合いになるだろう。
「ところで、小父さん、毎朝、うちの女性たちを見て何をしているんです?」

2008年1月30日水曜日

クレイ・マーメイド

 文化祭に「大切な物」を展示する企画があった。我が柔道部の企画だ。文化祭は体育系のクラブは部外者みたいに考えられているので、何かで参加しようと主将が提案したのだ。
「大切な物」ねぇ・・・。俺は家の中を見回した。俺の大切なアイちゃんのCDや写真集なんて恥ずかしくて出せないし、第一、盗られたら困るじゃないか。何か適当な物でお茶を濁そう・・・。

 果たして、展示物は冗談の展覧会みたいな物だった。
「小学校に入学して最初に割ったガラス」を出した友人、「中学時代の失恋の記念品」と言う題で潰れたハート型のオルゴールを出した後輩、「私のベストコレクション」と題して手編みのベストを数枚展示したマネージャー、ちなみに、我が部のマネージャーは男子だ、そして主将は部員全員の集合写真(おいおい)。
俺は、お袋のタンスの上で埃を被っていた人魚の置物を出品した。題して「家宝」。
ものすごく軽い、高さ5センチほどの陶器の置物だ。人魚は美女とはほど遠い、ぽっちゃりした顔の女の子。胸は彼女が両手で抱えている玉で隠れているが、多分、ぺったんこだ。彩色は素人くさい塗り方で、上手とは言えない。この置物の由来を俺はお袋から聞いたことがなかった。多分、100均で買ったのだろう。

 文化祭の二日間、毎日この人魚を眺めている小父さんがいたと、後輩に聞いた。ずっと棚の前で身をかがめて人魚だけ見ていたのだと言う。世の中には変わった人がいるもんだ、と思ったけど、気にしなかった。
文化祭が終わって、後片付けをしていると、顧問に呼ばれた。
柔道場の教官室に行くと、小太りの男性が顧問と向かい合って座っていた。
顧問は俺を見ると、困惑した表情で言った。
「こちらは、Kさんとおっしゃって、君が出品した置物を売って欲しいと仰るのだ。」
俺は、ぽかんとして男性を見た。男性は眼鏡の奥で目を輝かせて、俺に言った。
「あの人魚の置物を売ってください。いくらでも払いますから。」
俺は顧問を見た。
顧問は俺と男性の両方に聞かせるように言った。
「文化祭は営利目的でしているのではありません。模擬店以外の場で生徒の作品を販売することは出来ません。」
「そこを何とか!」
男性は俺たちに頭を下げた。 顧問は俺に問いかける視線を投げかけた。
「あれは、高価な物なのか?」
「いいえ!」
俺は首を強く振った。
「うちで埃をかぶっていた安物ですよ。」
顧問は男性に言った。
「何度も申しますが、生徒の作品を売ることは出来ません。今日はお引き取りください。」
俺は、ひょっとして何か特別な置物なのだろうか、と期待した。
一攫千金のチャンスか?
しかし、顧問は頑として男性の要求を受け入れず、生徒に個別に接触しないようにと言い含めて帰らせた。俺も、彼から接触があればすぐに学校の連絡するように、と言われた。きっと顧問は男性がまともでないと思ったのだろう。
誰の目にも、あの人魚はただの安物の置物だったから。

 家に帰って、お袋にその話しをした。お袋は、最初ふんふんと軽く聞き流していたが、男性の名前を聞いて、一瞬遠い目をした。
「その人は、Kさんと言ったのね?」
「うん、顧問はそう呼んだよ。お袋、知ってるの?」
「多分・・・ね」
その週末、お袋は俺に小さな紙箱と手書きの地図を渡した。小遣いもくれた。
「これをKさんに届けてあげてちょうだい。」
「何、これ?」
「あの人魚よ。お遣いが済んだら、CDでも買っていいわよ。」

 あの男性は、お袋の幼馴染みの兄貴だったそうだ。お袋の幼馴染みは子供時代に事故で亡くなっていて、それ以来交流がなかったそうだ。人魚の置物は、その幼馴染みをモデルにしてお兄さんが作り、その友達が亡くなる前にお袋にくれたのだった。
 俺は、人魚が貴重なアンティークでなかったことに少しがっかりしたが、小父さんの嬉しそうな顔を見て、なんだか得をした気分になったのだった。