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2024年11月13日水曜日

ちょっと早い紅葉狩り 2

丹波市山南町の小新屋観音。

 到着したら、入山料が要ることに気がついた。 幸い300円あったので、ボックスに入れた。

まだ青紅葉の方が優っているが、こう言う状態も綺麗なので好きだ。

 


 


ちっちゃな鳥居。 高さ1mほど・・・



中井権次一統の作 と言われている龍











村の人達が大勢いて、お茶でもどうぞ と言われたが、トイレが近くなるのも嫌だったので、飲まずに帰ろうとしたら、女性が来て、「せめてお煎餅だけでも・・・」と小新屋観音の刻印が入ったお煎餅をくれた。

 有り難うございます。


次は慧日寺へ。

2024年11月5日火曜日

安志姫神社

 帰り道、神社があった。多分、以前そこを通って、「そのうち行ってみよう」と呟いたかも知れない。cats君が「ほら、行くぞ」と言ったから・・・

安志加茂神社は、 貞観(859~)以前の創立。

安志姫神社は、

>比売神は、遠く人皇十三代成務天皇の御宇甲申年(昭和61年より遡り1850年の昔)、当所に勧請し祭祀されたと伝えられ、安富町関を除く十ニケ村を氏子とする古い社である。

 播磨国風土記には、伊和の大神が安師比売神に求婚したが拒絶され、怒った大神が、川上を石でせきとめて、三方の里(一宮町三方)の方へ流したので水の少ない川になった。この川は、神の名を採って安師川といい、これまで酒加の里、後に山守の里といったのを川の名によって安師の里と改名したと述べている。

 古くは播磨国の主要な24社中の中に数えられ、播磨国総社に合祀され、室町時代初期の峰相記(みねあいき)にも見える。慶長検知の記録によると、安志加茂神社・名阪八幡神社とともに、それぞれ畠二反が免祖地に認められ、江戸時代の記録では、この三社が、安志谷氏神三社とされている。

とある。どっちが古いのかな?


参道は、崩れそうな石段。 写真がブレブレなので、拡大しない。


左が、安志姫のお社。 右は摂社らしい。


狛犬は立方体をそのまま刻んだような四角い形状。


四角いので、日が当たらないところが暗くなった・・・
水たまりがあったので、この角度でしか撮影出来なかった。


右から読みましょう。神様から見ると、左からになります。


境内は、鬱蒼とした鎮守の杜で、地面もジメジメしていた。



参道の右側に畑があって、おばさんが焚き火をしていたので、煙が・・・




駐車場は社標の左に、広いスペースであります。

老人集会所とかの建物もあったので、誰かいたら挨拶しても良いかも。


安志加茂神社 2

 安志加茂神社 の 社殿へ・・・

神社前の空間が広く、土俵は保護のためにシートをかけられていた。




氏子ではないが、東マル醤油が大量の寄進。



青紅葉が綺麗。


安志稲荷神社。 ここにも東マルが寄進。


摂社がいく柱か・・・





お正月はさぞかし賑わうだろうな・・・

2024年10月26日土曜日

西山酒造の隣の 一宮神社

 西山酒造のカフェでお昼を食べようと訪問したら、隣に大きな神社が・・・
ランチの後で訪問してみた。

まず、この道が気に入った。 西山酒造の駐車場から入る。右の家は廃屋になりかけた空き家。


空き家の向かいの崩れかけた塀。 大きなお屋敷があったようだ。


境内がやたらと広い。 多分、祭礼が派手なのだろう。神輿とかが暴れるのだと想像される。



鳥居の表に回ると、一宮神社 の扁額があった。古い石造りの鳥居。
保護されているのは、神輿などが練る時に鳥居にぶつかって傷がつかないように配慮しているのだろうか。


公孫樹の木が大きい。色づいたら綺麗だろう。


狛犬には 余田と言う夫婦の名前と、大阪東淀川の石工の名が刻まれていた。




本殿は塀でよく見えない。


龍が見える。 中井の作品と言うらしいが、よく見えない。
塀に格納されている太くて長い棒は、多分神輿を担ぐ棒だと思う。左右に新旧4本?あった。



境内が広いので、摂社が小さく空間が余っている。


本殿の後ろに玉垣に囲まれた「空き地」。元は鎮守の杜でもあったのか?



 検索したが祭りの情報ばかりで肝心の神社の情報は少なかった。