2008年2月15日金曜日

ヒロミ

 やはりそうなのか?と山田は島岡家の暗い玄関を眺めていた。信じられない、あの優しい島岡の小父さんが・・・。
「何か用かい?」
いきなり背後から声をかけられて、山田は跳び上がった。振り返ると、島岡が立っていた。手にはスーパーで買い物でもしたのか、白いレジ袋を下げている。中身は弁当か?
「あ、いや、ちょっと通りかかったもんだから・・・」
ちょっと冷や汗が出た。安堵の汗でもあった。違ったんだ、小父さんじゃなかった、あの報道の「老人」は。
島岡は山田をじろじろ見た。山田の狼狽振りを訝しんだのだ。
「用事があったんじゃなかったのかい?」
島岡は鍵を出して、玄関の戸を開けた。
そこへ、町内会長が通りかかった。
「ああ、山田さん、今夜8時から役員会をするから、頼みますよ!」
「え、臨時役員会ですか?」
「そう・・・川上さんのことでね。」
山田は、自分の勘違いに気づいた。町内会長が行ってしまっても、そこに立ちすくんでいた。
島岡が心配そうに声をかけた。
「どうした、浩一君。気分でも悪いのか?」
「あ、いや、何でもないです。川上さんのことで・・・」
「川上の爺さんがどうした?」
島岡の耳には、まだあの事件は届いていないらしい。
山田は意を決して話しかけた。
「小父さん、ちょっと時間をもらってもいいだろうか?」

 島岡家の座敷は、かすかに線香の香りが漂っていた。小さな仏壇には小さな位牌が二つ。10年前に亡くなった島岡の妻と、昨年急逝した島岡の一人息子拓也のものだ。拓也は山田の同級生で、同じ職場の同僚でもあった。体調の異変に気づき、病院で検査を受けて、一月で死んでしまった。あまりに急な死で、親族は呆然とし、職場は大混乱だった。拓也はかなり重要な仕事をたくさん受け持っていたからだ。45歳、独身のまま働き詰めの短い人生だった。
 山田は焼香してから、島岡にまず事件のことを語った。地方紙に、「○町5丁目で小学生が痴漢に襲われ、容疑者として75歳の男が逮捕された」と言う短い記事が載ったのだ。○町5丁目、まさに、それは山田と島岡が住む地区だった。容疑者の氏名が伏せられていたので、山田はてっきり同年齢の島岡かと疑ってしまったのだ。
 疑ってしまってのには、訳があった。
 島岡はこの半年、ずっと息子が勤めていたY電機工業の社員が出勤する時間になると、門のそばに立って女性社員をウォッチングしていたのだ。女性社員たちは気持ち悪がった。話しかけるでもなし、ただじっと目で追っている。特に悪さをするでもなし、なので、追い払う理由がない。それに、死んだ島岡拓也の父親だと重役たちも知っているから、理由がわからぬまま放置していた。
「小父さんを疑うなんて、僕は最低だ。すみません。」
頭を下げる山田に、島岡は手を振って苦笑いした。
「疑われるような真似をした私も良くなかった。拓也が生きていたら、叱られていただろう。」
あっさり許されて、山田はホッとした。考えれば、以前にも同様の事件を起こしていた川上の方が疑われて当然だった。先月は万引きで捕まっていた。どうやら年齢から来る精神の病気らしい。今夜の役員会は、川上が今後問題を起こさぬように、町内会で川上家をバックアップする方法を考える話し合いになるだろう。
「ところで、小父さん、毎朝、うちの女性たちを見て何をしているんです?」

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