「ここにいるよ」
声が聞こえたような気がした。周囲を見回す。明るい木漏れ日が差し込む林の小径だった。すぐむこうには道路があって、クルマが数分おきに走り抜ける。ちょっと南に下ればドライブインがあり、シシ肉の味噌煮込みうどんが美味しいとかで、観光客が押しかける。北側にはキャンプ場があって、広場では多くのグループがバーベキューをしている。
のどかな連休の午後。
林の中にボク以外の人間がいてもおかしくない。だけど、その声はボクに話しかけているように聞こえた。
「誰?」
と声に出して尋ねたが、そばに人がいるように思えなかった。
また歩き出すと、それは聞こえた。
「こっち。ここにいるよ。」
若い女の声に思えたので、ちょっと好奇心で探求してみることにした。
声はボクを誘導し、林を通り、小さな社の横の坂道を上り、石段を登り、木の枝を滑り止めにした土の階段を上がって行った。
突然目の前が開け、かなり下の方に道路や集落が見えた。いつのまにか山の頂上に来ていた。なんて素晴らしい景色なんだ!
真っ青な空、新緑の山、澄んだ空気、ぽっかり浮かぶ白い雲。
「ここにいるよ」
空の向こうで声がした。ボクを招いている。
飛んで行けるような気がした。
「危ない!」
いきなり後ろで大声がして、ボクは我に返った。目の前の地面がなかった。脚が竦んでしまったボクの服の背中をつかむようにして、リュックを背負ったおじさんがボクを引っ張って後ろへ下がらせてくれた。
「大丈夫かい? まさか、飛び降りるつもりじゃなかったんだろ?」
「すみません、景色に見とれてました。」
背中も腋も汗びっしょりだった。おじさんはボクをじろじろ見て、それから谷間を見た。
「また出たんだな・・・」
「何がです?」
「なんだか知らないけど、一人で歩いている人を誘うヤツがいるんだよ。同じ所を堂々巡りさせたり、谷川で水浴びさせたり、悪戯するんだ。しかし、今日はちょっと笑えないなぁ。」
一度遊んだ相手には二度と声をかけないから安心しな、とおじさんは言った。
なんの声だったのか。ボクは帰り際、売店で買ったお菓子を林のお社にお供えして帰った。
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