私が育った神戸市垂水区は、住宅街なのですが、元は明石海峡で漁をする漁師の街でした。
震災と再開発で様子が変わってしまいましたが、今でもJRと海にはさまれた細長い地域には渡船業の看板を出す家や釣り餌を売る家などがあり、漁師が住んでいます。
JRの山側(北側)は商店街や学校などがあってオシャレな神戸の端っこの雰囲気ですが、浜側(南側)は昔の面影が残っているのです。(海を埋め立てて大人気のアウトレットモールが出来て人が集まっていますが、古い住人は苦々しく思っているみたいです。)
その漁師町の中に、小学生だった私と家族は迷い込んだことがありました。
もう何十年も昔のことです。
一家で食事に出かけたものの、お目当ての店が閉まっていたか満席だったか、兎に角「食いはぐれた」のです。
女性3人が不機嫌になる頃に、唯一人の男性である父親が一軒の寿司店を見つけました。
ずっと垂水に住んでいたのに、そこに寿司店があるなんて、両親も知りませんでしたので、興味津々、恐る恐る入店して、お寿司を食べました。
その店は家族でやっているみたいで、お茶運びは中学生くらいの少年でした。
小さな店で、店で食べさせるより仕出しで経営が成り立っているみたいでした。
予想外に、その店のお寿司は美味しかったのです。
それ以来、我が家ではその店のファンになりました。
店が大きくなって、国道に面したもっと条件の良い場所に移転して、支店まで持つようになっても、ずっとファンでした。
震災で支店をたたまれ、本店だけになってしまっても、我が家では法事や遠方からの来客など、大事な行事の時はその店で食事をしました。
今年のお盆に帰省すると電話をしたら、母が「お昼はお寿司でいいよね? どこに頼もうかな。M屋はお盆はいっぱいだから、Y寿司にしようか。」
私は「うを仙」があるのに、と思いましたが、母はその名を出しませんでした。
実家に帰ると、食事の後で、母が言いました。
「『うを仙』があったところは回転寿司になってるよ。」
青天の霹靂でした。
ネットで検索すると、「うを仙」のブログが出てきました。
最後の書き込みは6月上旬でした。
*****
皆さんこんにちは。
本日も、あぶらめや、甘カレイといった、美味しいお魚を買ってまいりました。
その前に、皆さんに、重大なお話がございます。
ご報告
今月、6月の25日をもちまして、「うを仙」は、閉店いたします。
本当に、本当に長い間、有難うございました。
創業明治35年ですので、足掛け、111年になります。
私たちは、生まれる前からたくさんの方たちに支えて頂き、又、こうして、現在もなお、惜しまれて、閉店できることを感謝し、幸せに思います。
うを仙を 長い間 ありがとうございました
*******
「うを仙、閉店しちゃったよ」と言ったら、家人が「うそ!」と叫びました。
「一番美味い店やったのに、なんでや?!」
ぐるなびなどを覗くと、多くのファンから別れを惜しむ書き込みがありました。
昨日、旧友が私のブログにコメントを書いていました。
「・・・ところで、M屋やうを仙はまだ元気で商売してるのかな?」
私はレスを書きました。
「M屋は健在。うを仙は6月に閉店した。」
その旧友はうを仙があった街で生まれ育って、昨年事情があって山側へ転居したばかりでした。
故郷がまた遠くなりました。
震災と再開発で様子が変わってしまいましたが、今でもJRと海にはさまれた細長い地域には渡船業の看板を出す家や釣り餌を売る家などがあり、漁師が住んでいます。
JRの山側(北側)は商店街や学校などがあってオシャレな神戸の端っこの雰囲気ですが、浜側(南側)は昔の面影が残っているのです。(海を埋め立てて大人気のアウトレットモールが出来て人が集まっていますが、古い住人は苦々しく思っているみたいです。)
その漁師町の中に、小学生だった私と家族は迷い込んだことがありました。
もう何十年も昔のことです。
一家で食事に出かけたものの、お目当ての店が閉まっていたか満席だったか、兎に角「食いはぐれた」のです。
女性3人が不機嫌になる頃に、唯一人の男性である父親が一軒の寿司店を見つけました。
ずっと垂水に住んでいたのに、そこに寿司店があるなんて、両親も知りませんでしたので、興味津々、恐る恐る入店して、お寿司を食べました。
その店は家族でやっているみたいで、お茶運びは中学生くらいの少年でした。
小さな店で、店で食べさせるより仕出しで経営が成り立っているみたいでした。
予想外に、その店のお寿司は美味しかったのです。
それ以来、我が家ではその店のファンになりました。
店が大きくなって、国道に面したもっと条件の良い場所に移転して、支店まで持つようになっても、ずっとファンでした。
震災で支店をたたまれ、本店だけになってしまっても、我が家では法事や遠方からの来客など、大事な行事の時はその店で食事をしました。
今年のお盆に帰省すると電話をしたら、母が「お昼はお寿司でいいよね? どこに頼もうかな。M屋はお盆はいっぱいだから、Y寿司にしようか。」
私は「うを仙」があるのに、と思いましたが、母はその名を出しませんでした。
実家に帰ると、食事の後で、母が言いました。
「『うを仙』があったところは回転寿司になってるよ。」
青天の霹靂でした。
ネットで検索すると、「うを仙」のブログが出てきました。
最後の書き込みは6月上旬でした。
*****
皆さんこんにちは。
本日も、あぶらめや、甘カレイといった、美味しいお魚を買ってまいりました。
その前に、皆さんに、重大なお話がございます。
ご報告
今月、6月の25日をもちまして、「うを仙」は、閉店いたします。
本当に、本当に長い間、有難うございました。
創業明治35年ですので、足掛け、111年になります。
私たちは、生まれる前からたくさんの方たちに支えて頂き、又、こうして、現在もなお、惜しまれて、閉店できることを感謝し、幸せに思います。
うを仙を 長い間 ありがとうございました
*******
「うを仙、閉店しちゃったよ」と言ったら、家人が「うそ!」と叫びました。
「一番美味い店やったのに、なんでや?!」
ぐるなびなどを覗くと、多くのファンから別れを惜しむ書き込みがありました。
昨日、旧友が私のブログにコメントを書いていました。
「・・・ところで、M屋やうを仙はまだ元気で商売してるのかな?」
私はレスを書きました。
「M屋は健在。うを仙は6月に閉店した。」
その旧友はうを仙があった街で生まれ育って、昨年事情があって山側へ転居したばかりでした。
故郷がまた遠くなりました。
えぇええええー!!!(;□;) うそやろ!? なんかの間違いよね?…と、ここで知ってとネット検索したら、【閉店】の二文字が。はぁ! マジですかぁ!? なんで? どうしてなの? ついこの間、うを仙の宅配車を見て、あそこも配達するんだ。知らなんだ~と思っていたのにと。
返信削除隣の町だから家族で行った事もある。父の死後、今は兄妹の縁を切った長兄に連れて行かれ、母と二人で嫌な思いをしながら食事した事も。従兄弟が叔母の切り上げ(四十九日?)をそこでしたりもした。
いろんな思い出があって…。(;-;)
すごくショックです。
駅北の文化薬局という、子供の頃からお世話になっていた薬屋さんも店舗劣化のために閉店してしまって、垂水駅に下りても意味がなくなってしまった。医者が換えられないので月一行くけど、寄る所がなくてとても寂しい。
これが、時間が経つという事なんでしょうが、自分の居場所が無くなっているような気がします。
近所に住んでいた一才下のコが、嫁ぎ先で亡くなったと聞いた時も、同じ虚無感に襲われました。少し前に駅前イオンで偶然会って、その時は元気そうに喋っていたのに。
年齢とともに抱える思い出が増えるということなんでしょう。まぁ、♪となりには新しい席♪ という歌もあるんで、私が生きている間は、新しい出会いもあり、私の物語は続いて行く訳ですから、精一杯頑張りましょう。(へへ)V 長文すみません。
いきなり亡くなってしまう知人や友達が増えてきましたね。
返信削除そう言う年齢になってしまったのかなぁ。
お店も消えて行くね。
うを仙も大将が亡くなって、小料理でやっていたけど、やっぱり寿司屋は寿司職人がいなきゃって辞めたと聞きましたよ。
固定すし屋て、このパターンが多いですよね。
返信削除前に行ったのに、今度行ったらない?
ああ、回らない寿司っていつから食べてないんやろか・・・???
111年続いていたのに、後継者が育たなかったんですね。
返信削除残念です。
弟子とか採れば良かったのに。