昔、と言っても私の子供の頃だが、垂水区を走っている山陽バスの上千鳥線の発点は、陸ノ町にあった。
垂水小学校のすぐ北側に電電公社があり、それはやがてNTTに変わったが、NTTの北側は小さな市場があり、その向かいにバス道と細い道を交えた三叉路があった。(今もある)
三叉路の角はタバコ屋と蒲団屋、おしてお地蔵さんがあった。向かいには木村理容店とレコード店があった。
バス停留所はそのお地蔵さんの前に置かれていた。
小さい市場で買い物をした記憶はない。母は垂水で一番大きな廉売市場を利用していたので、店舗が10軒にも満たない市場はスルーするのだった。市場には煎餅屋があるらしく、毎日香ばしい煎餅を焼く匂いがしていた。
レコード店にも入ったことがなかった。正面のガラス扉にはオリビア・ニュートン・ジョンやジョン・デンバー、郷ひろみなどの写真ポスターが大きく貼り出されていた。
蒲団屋も用がなかった。身近なのに利用しない店は結構多いものだ。利用する店はほかにあり、選択肢が多かった。
それだけ垂水の街は店舗がたくさんあり、賑わっていた。
お地蔵さんは、池姫地蔵と言う。現在もあるのだが、当時はかなり老朽化したお堂に祀られていた。中央に本尊があり、両側にお稲荷さんと名前の知らない小さな神社があった。地蔵が主神格で神社が境内社扱いと言う、ちょっと変わった場所だった。
本尊に向かって右側に六地蔵が並び、バス亭のベンチが置かれ、そして何故かとても印象に残っているのだが、巨大なシャコ貝の貝殻が一枚だけ置かれていた。
反対側はこれも不思議なことに小さなお地蔵さんが無数に何列も置かれていて、後に噂で聞いたところによると、それらのお地蔵さんは団地などの開発で行き場を失った地蔵などがそこに引き取られたり捨てれていたものだそうだ。
さて、本尊の池姫地蔵だが、これがまたとてもまか不思議なお姿をしていた。
まず、お顔がなかった。丸い石だけの頭部に赤い頭巾を被っていた。
よだれかけをした胴体はずっしりと大きいのに、背が低い。
何故なら、この胴体は、胸部だけだったからだ。
調べてみると、この地蔵は、昭和時代の初め、現在の場所から少し北へ行った所にあった池を埋め立てた時に、土中から発掘されたのだと言う。池にあったので、池姫地蔵と言う。
胸から上、顔のない不思議な地蔵。誰が何の為に作り、今の様な姿となって、土中に埋められたのか、誰も知らない。
現存する姿だけ見ても、完成品はかなり大きな地蔵だったと思われる。
垂水の人は、ただ「お地蔵さん」と呼ぶ。
地蔵盆になれば千羽鶴やお飾りをしてお祭りをしている様だ。
子供の頃は、バス停でもあり、敷地全体を覆う屋根があったが、最近の写真を他人のブログで見ると、屋根はなくなっている様だ。
バス停も交通事情で移転して、もう「お地蔵さんのバス停」ではなくなっている。
市場は老朽化して後継者もいなかったのか、閉鎖となった。
レコード店は気の毒なことに泥棒に入られ、しかも放火された。再起をしようと努力された様子もあったが、結局廃業された。
蒲団店もなくなったみたいで、タバコ屋さんと理容店だけが残ったようだが、最近は通らないので、これらの店舗がまだ存続しているのかもわからない。
わかっているのは、池姫地蔵がまだあることだけだ。
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