2010年5月23日日曜日

サンドールの野を愛す・アリー



 アリーは本当はアリーと言う名前ではなくて、真の名前を持っている。でも誰にもそれを教えるつもりはない。何故なら、その名前を持っていた人間は、3500年前に死んでしまっていて、ここに、サンドールの町でトワニとジェイクの小屋に住んでいる女性は、科学者たちが氷河の中から掘り出して最先端の科学技術で生き返らせた、別の人間だからだ。
 科学者たちは彼女が研究施設から逃げた時、慌てふためいた。現代のルールに無知な古代人が何をやらかすか、わかったもんじゃなかったから。だけど、彼女は聡明で自分が置かれた状況を理解するのに時間をかけず、身を守るには現代人になりきることだと判断した。
 トワニは彼女の本当の部族もその歴史も知らなかった。3500年前は、情報が伝わるのが遅かったし、死滅した部族のことを伝える物も人もいなかったからだ。地球上から永遠に消えてしまった民族。彼女と同じ時代を生きていたはずなのに、彼はその時代の思い出を共有していなかったことを残念に思った。せめて噂だけでも聞いていたならば、彼女と「思い出話」などをして、慰めてあげられただろうに。
 アリーは現代人のルールをどんどん学習していったけれど、どうしても理解出来ないことはいっぱいあった。
「どうしてテレビの中に人がいる?」
「無線機から聞こえてくる声は空気を伝ってくるとジェイクは言う。では、どうして空気は煩くないの?空気ってなに?見えないのに、どうして、ある とわかるの?」
 そして、一番の疑問。
「何故、私はここにいる?」
 トワニは何も答えられない。そして彼女が平原を眺める時、それは3500年前の世界を見ているのだと、わかるだけだった。
「アリーを理解出来るのは、あんただけだよ、トワニ」とジェイク。
「違うね」とトワニ。
「俺はずっとこのままだ。過去から未来まで、ずっと俺の時間は繋がっている。だけど、彼女の時間は一度途切れた。全てがそこで終わった。
今いる彼女は、今生まれたんだ。彼女はこれから歳を取っていく。君と同じ時間を生きるんだ。そして君たちは俺の前から、いつか消えていく。俺を残してね。俺は君たちの時間の観念を永久に理解出来ない。
 彼女は君の世界の人間なんだ。君が彼女を理解してやれるんだよ。」
 ジェイクは、永遠に一人のトワニが愛おしい。サンドールの友人であり父であり兄である不思議な男が。

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