2011年1月23日日曜日

灘黒岩水仙郷

寒いので、暖かい南の島へ行こう、と言うことで、海外へ遠征。
淡路島だ!

橋を渡ってサービスエリアへ。そこでお昼にしても好かったけど(ちりめんじゃこ丼美味しそうだった)、「松葉寿司はどう?」なんて言われたら、そっちへ行きたくなる。

だから、お昼は松葉寿司。「フードコート・松葉寿司」をどうぞ。

お昼を食べたら、黒岩水仙郷を目指す。
途中で道がどんどん細くなって不安になる。看板があって、「謎の立川水仙郷」なんて書いてあったり、「モンキーパーク」ってあったり、「たこの天麩羅定食」って・・・黒岩の名前はないぞ。
一度行きかけて、引き返す。途中でハンターのおじさんが道ばたにいたので、道を尋ねたら、「黒岩はその道をそのままずっと行って、山超えるんだ」と教えてくれた。細い道で正解だったわけだね。(何故かナビは黒岩を知らなかったのだ)
見通しの悪い山道だけど通行量は多い。自分では運転したくない道路だ。

やっと水仙郷に着くと、たくさんの車、バス、観光客。

みんな反対方向から来てるよ・・・

駐車場に車を駐めて、ジグザグの道を登っていく。結構急勾配で、みんなひーひー言っている。ただ、一方通行になっているので、降りてくる人はいない。
高い・・・高所恐怖症の人にはお勧めしない。
沼島をバックに。




梅も咲いていた。 水仙と梅の香りが甘く心地よい。





今日のお気に入りのショット。

帰りはハイウェイオアシスでコーヒーを飲んで、お土産に夕食用のお寿司やお菓子を買って帰った。




2011年1月20日木曜日

2011年1月19日水曜日

焼き芋

今から16年前のある一月の寒い夜、私は一刻も早く神戸から脱出しようとする車の長い渋滞の列の中にいました。市内の実家や友人に救援物資を届けた帰り で、普段なら5,6分で通り抜けられる道路に3時間も足止めを食っていました。周囲は停電で真っ暗、見えるのは自動車の赤い制動灯ばかり。どの車もガソリ ンの節約の為にエンジンを切って寒さを堪え、時々またエンジンをかけて数センチ前に進む、と言うことを繰り返していました。
これは徹夜かな、と私が思っていると、外からポーッと言う柔らかな音が聞こえてきました。
外を見ると、渋滞の車の隙間を縫うように移動する軽トラが一台いました。
荷台から白い煙が上がっているのが見え、その正体はすぐ判明しました。
「こんな状況で、焼き芋なんか売ってるのか。暢気だなぁ。それとも逞しいのかなぁ。」
焼き芋屋はゆっくりと暗闇の中へ遠ざかって行きました。


それから15年たった昨年のことです。神戸新聞の投稿欄に、こんな投稿がありました。

「震 災の数日後、○○市の実家へ避難しようと家族で車に乗って家を出ましたが、西神で渋滞につかまり、そのまま夜になってしまいました。寒いし、お腹は空く し、子供が泣き出して、私も泣きたいほど途方に暮れていました。すると誰かが車の窓をノックするのです。振り返ると、見知らぬ小父さんが新聞紙の包みを 持っていました。窓を開けると、その小父さんが『お腹が空いたでしょう。これを食べて頑張ってください』と言って、その包みを差し出しました。受け取る と、暖かい。中身は焼き芋でした。慌てて財布を出すと、小父さんは『こんな時にお金なんて受け取れませんよ。早く避難所に行けるといいですね』と言って、 行ってしまいました。見ると焼き芋屋さんの自動車がいて、小父さんはそれに乗って、周囲の車にお芋を配っていました。
あの時の焼き芋はとても美味しかったです。随分遅くなりましたが、この紙面を借りてお礼申し上げます。」

すると、二日後、こんな投稿が載りました。

「先日、震災の後避難途中に焼き芋屋に会った人の話が載っていたでしょう。あれ、きっとうちのお父さんのことやわ。地震の後、仕事にならんで家におったんやけど、突然お芋を車に積めるだけ積んで出かけてしもうて。
夜遅うに帰って来た時は、お芋は全部なくなっていて、お父さん、『町は酷い状態やった』言うただけで、それっきり何も言わへんかって、何があったのか、私等は知らんかったん。
もうお父さんは亡くなってしもうておらへんのやけど、ええことしたんやね、って今度会った時に言うてあげますわ。語ってくれて有り難うございました。」




いかがです? じーんときました?
目に涙浮かびました?
PCの画面を見つめると目が乾きますからね、涙が出るようなお話もたまには必要でしょう?

2011年1月16日日曜日

2011年1月10日月曜日

雪の五神社

今朝の五神社。








雪が降っているので、随神門の下から撮影。





説明を追加

安田神社と春日神社 篠山

京都からの帰りに篠山に立ち寄りました。
春日神社の入り口付近にある小さな恵比寿神社でえべっさんのお祭りをしていました。
春日神社は大きいです。












安田神社は、途中で休憩したコンビニの近くにあります。
以前から、ここの大杉が気になっていました。
行ってみると、小さな神社がありました。





世界遺産と京の御飯 2

糺の森へ出るとすぐ女性の大行列を目撃しました。
縁結びの神様 相生社にお参りする女性たちです。ちょっと笑っちゃいました。
真剣にお参りする人、何割でしょうね、大方お遊びだと思うのですが(笑

糺の森はもっとジャングルみたいなのかと思いましたが、普通に「林」でした。

中には古代祭祀跡とかあるので、ゆっくり散歩すると良いですね。




ご神木みたいです。落雷にやられたのか、傷跡が痛々しいです。

糺の森には川が二本流れています。泉川と瀬見の小川です。神社の境内の御手洗川が二つに分かれているみたい。
どちらも綺麗な川です。
鳥がいたりします。



お参りすると美人になると言う河合神社(鴨河合坐小社宅神社)かもかわあいにますおこそやけのじんじゃ もあります。




狛犬さんたちも少し変わってました。





一枚、うっかり削除してしまったので、3匹だけです(汗

世界遺産と京の御飯

昨日はお天気になると思って、京都へお出かけ。
でもお天気はずっと薄曇り。

まず大津へ。以前見かけた気になる鰻屋さんへ。かなり有名なお店らしい。
「かねよ」さん。 本店はちょっと高いので、レストラン部門へ。
お食事の内容は、もう一つのブログ「フードコート」でどうぞ。

御飯の後、どこへ行こうかと散々二人で悩んで、まず下鴨神社へ行くことに。
1号線、いつもながら大渋滞。
途中「出町ふたば」の豆大福を、と前を通るとお客さんの行列が三つ折り四つ折り・・・
止めよう(汗
下鴨神社は、正しくは加茂御祖神社(かものみおやじんじゃ)と言います。
残念なことに祭礼場所が改築中でシートを被っていて、美しい本殿が見えず。
拝殿のガラス越しは駄目ですね。
代わりに楼門を・・・
屋根の上の雪あら雨の様に雫が落ちて下を通るときは注意が必要。





大きな舞殿。参拝者の数も凄いです。流石に世界遺産。流石に下鴨神社。


お参りの後で、資料公開を見ます。
重要文化財「大炊殿」です。竈とか馬車とか牛車とか展示してます。
私的には、水の神様が降臨なさる「水ごしらえ」が興味があります。
井戸の前にある平たい大岩です。


さて、神社にお参りの後は、世界遺産 糺の森 を歩きましょうか。

2011年1月1日土曜日

サンドールの野を愛す・雪の夜


あの時代、あの国は混乱して、貧しかった。空に太陽が輝く夏でさえ暗黒のイメージがあったから、日が短い冬などは、もう闇の世界だった。餓死者も大量に出た。伝染病が広まらなかったのは冬だったからだ。それでも、インフルエンザくらいは流行っていただろう。
俺も貧しかった。土地を持たなかったし、身元を保証されている訳でもないから、その日暮らしで、周りの人々が貧しければ、俺の様な放浪者が真っ先にいかれちまうのさ。
あの夜、俺はなんとかその日稼いだ銅貨2枚を後生大事に持って、雪の中を歩いていた。遅い時間だったので、パン屋は閉まっていて、食い物にありつけるのは、翌日まで待たなきゃならなかった。正直、生きてその夜を越せるかどうか、自信がなかった。
風が吹き始めて、吹雪になるかも知れないと思い始めた時、暗がりの中から女が一人現れた。村の居酒屋で働いている娘だった。口を利いたことがなかったので、お互い会釈だけしてすれ違おうとした。彼女が足を止めて、話しかけてきたんだ。
「唇から血が出てるよ、兄さん」
食う物を食ってないから、健康だとは言えなかったんだ、あの頃は。唇も乾燥して荒れ放題。カサカサで切れていたんだな。寒さで気付かなかったんだ。
彼女はすっと俺に近づいてきた。俺は言葉を返すのも億劫で、彼女がどんどん顔を近づけ来るのをぼんやり見ているだけだった。
「生きるのも辛そうな顔だね。私が勇気づけてあげようか」
彼女はそう言って、俺の唇にキスをした。正確に言えば、キスするふりをして、俺の唇の血を舌で舐めたんだ。
彼女はすぐに身を退いた。ちょっと驚いていた様だ。
「あんたが、あのメトセラの・・・」
って言ったと思う。そして、舐めた俺の血を吐き捨てた。
「とんでもないのに出会っちまった。行っちまいな、ここはあんたがいる場所じゃないよ。」
俺は腹ぺこで、もう旅を続ける気力もないと答えた。すると彼女は近くの林を指さした。
「さっき、あそこでウサギを仕留めた。まだ雪に埋もれていないから、見つけられるだろ。それを食って、ここから去るがいい。」
そして雪の中を歩き去った。俺は言われた林に行き、そこでウサギの死骸を見つけた。綺麗に血抜きされていたので、小屋に持ち帰って火で炙って食べた。お陰でなんとか持ちこたえて、その国を出た。

それ以来、そこには戻らなかったし、彼女にも会っていない。
人々は彼女や彼女の一族を吸血鬼と呼ぶが、俺には恩人かも知れない。

-----ジェイク・スターマン著「トワニに聞いた物語」より

サンドールの野を愛す・ライナス

アメリカ全土が不況で喘いでいた時代。サンドールの集会所の入り口で捨て子が見つかった。生まれて一月足らずの男の子。警察は親を捜したが、見つからな かった。サンドールは小さな町だから、子供がいなくなれば、すぐ近所の人が気付くだろう。これはきっと近隣の町か村の人間が夜中にやって来て棄てていった に違いない。寒くないように毛布でくるまれていたから、親は子供が死ぬことを望んでおらず、どこかの親切な人に拾われることを期待したのだろう。仕方がな いので、警察は子供を隣町の孤児院に預けることに決めた。すると、子供を最初に発見した人物が、自分が育てようと申し出た。サンドールの住人は驚いた。彼 が孤児を養うなんて予想していなかったから。でも、彼は言った、「この子の親は、子供がサンドールで生きていくことを選択したんだ」
ライナスと名付けられた赤ん坊は、こうしてトワニの小屋で育てられた。トワニはその日暮らしだったけれど、子供の養育費には困らなかった。サンドールの 住人たちが、子供に必要な食べ物や身の回りの物を分けてくれたからだ。サンドールの住人たちは、自分たちも不況で喘いでいた。それぞれの家庭は、子供が一 人増えるのは辛いが、余所の家の子供に少し分け与える余裕くらいはあった訳だ。その「余所の家」がトワニの家なら、なおさらだった。
ライナスは町中の人々によって育てられ、成長して、当時の若者がそうだった様に徴兵されて戦争にも行き、無事に退役して町に戻って来るとジョーンズ牧場 で働き始めた。牧場主が彼を気に入って娘と結婚させ、彼はライナス・ジョーンズと言う名前になり、その後も真面目に働き、子供が出来て、牧場は町で一番大 きな牧場となり、彼は町の名士に数えられるようになった。

「5人目の曾孫が生まれたんだよ、親父」
と、ライナスは、一番年長の曾孫と変わらない外観の若さを保つトワニに報告した。二人は馬に乗って牧場を見下ろせる丘の上にいた。
「どっちだい?」
「男。息子、孫に曾孫、全部男だ。」
「ジョーンズ家は代々女系だったが、おまえが入り婿してから逆転したな。」
「まだ3代しかたっていないよ。」
「いや、4代さ。おまえから数えるんだ。」
「俺は余所者の子だ」
「違うね」
トワニは断言した。
「おまえの親は、この町の住人がおまえを育てると知っていたんだ。」
「住人が俺を育ててくれたのは、俺が親父に引き取られたからだろ?」
「それを予想出来たと言うことは、おまえの親が俺の存在を知っていたと言うことだ。つまり、おまえの親は、サンドールで生まれ育って外へ出ていった人間だ。」
「親父は俺の本当の親が誰だか知ってるのか?」
「知らない。もし知っていたら、おまえは知りたいのか?」
ライナスは草原の果てに視線を向けた。
「いや。俺の親は親父一人だけだから。」
「だったら・・・」
トワニは馬の首を軽く叩いた。馬が草を噛むのを止めて、次の指示を待つように顔を上げた。
「おまえは余所者じゃないさ、ライナス。80にもなって、そんなことも知らなかったのか?、坊や」
トワニの馬が腹を蹴られて走り出した。やれやれ、とライナスは首を振った。いつまでたっても子供扱いするんだから・・・。彼も馬の腹を蹴ってトワニを追いかけた。
「そんなに飛ばすんじゃないぞ、親父、あんたも歳なんだから!」

明けましておめでとうございます。

A Happy New Year !