子供の頃、田植えが始まる前の、代掻きをする前、蓮華畑になっている田圃で走り回って遊んだものだ。
代掻きが終わって田植えが行われる前の日、男の子達が「合戦ごっこ」をしようと言い出した。
誰かが、子供向きに編集された「太閤記」を読んで、墨俣城の建築のくだりで、泥の川で秀吉側の野武士と美濃の軍勢の合戦を再現したくなったのだ。
田植えが始まったら、もう泥田では遊べないから、チャンスは今日しかないのだ、とその友達が主張し、学校が終わると、クラスの男子は全員田圃の畦道に集合した。
刀の代わりに竹の棒を持つ。ルールは簡単、絶対に「突かない」こと。「顔を狙わない」こと。「首から上は叩かない」こと。「肩か背中に泥が付いたら、斬られたことにして田圃から出る」こと。
グッパで二手に分かれて、田圃の両側から号令と共に泥の中に跳び込んだ。
竹の棒と言っても、どれも古くて繊維が見えるくらいくたびれているから、叩かれてもそんなに痛くない。
あちらこちらで、パンパン、バシバシ、と音が響き、バチャッと泥に倒れ込む音がする。
田圃の泥は温かくて柔らかい。大人が見たら怒るだろうが、そんなことは後の心配で、みんな夢中で初夏の前日を楽しんだ。
僕は敵陣の中に勇敢に切り込んで、敵将たる学級委員のお尻に泥を付け損ない、急いで退却しようとした。
突然、脚が何かに引っかかって、僕は顔から泥の中に倒れ込んだ。
ちぇっ! 自損事故だ。
僕は脚を引き抜こうとしたが、何故か動かない。そんなに泥は深くないはずだが・・・僕は足首に何かが絡まっている感触を覚え、視線を向けた。
泥だらけの手が僕の足首をがっしりとつかんでいた。僕は、その手が、泥の中から生えていることに気がついた。友達は合戦ごっこに夢中で、僕のそばに倒れているヤツはいなかった。
この手は誰の?
僕は恐怖に駆られ、夢中で竹棒で泥の面を叩いた。
手が離れ、僕は田圃から死にものぐるいで這い上がった。
この話は誰にも言っていない。
言っても笑われるだけだ。
そして、大人になってからも僕は泥田には入らない。
僕が農家を継がずに都会に出て会社勤めをしているのは、実はそう言う理由からなんだ・・・
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