2008年5月11日日曜日

 家の前に大きな穴があった。 住宅地が取り壊されて、工事で開けられたらしい。結構深くて、台風の後、水が溜まって池みたいになった。
 近所のお兄ちゃんたちが、廃材の板を浮かべて筏遊びをしていた。
 黄色に濁った水に廃材の筏。竹竿で漕ぐお兄ちゃん。
 大人たちが眺めていた。
 何かあればすぐ助けに行けるように見ていたのだろうか。

 穴はやがて埋められて、そこは長い間空き地になっていた。
 お兄ちゃんは大きくなって、遠くの学校へ行って、船乗りさんになった。
 アフリカへ行ったんだって。
 お土産にワニの剥製をもらったけど、あんなの、気味が悪くて、とおばちゃんが笑ってた。

 お兄ちゃんは、子供の頃の冒険心を実現させたんだろうな、きっと。

息子と親たち

 父は死にかけていた。末期ガンで、あと数日ももたないと、誰の目にも明らかだった。
看護していた母の疲労が酷くならないうちに父は逝こうとしていた。
「お祖父さんの一周忌までもたないね」
と母が呟いた。
祖父は11ヶ月前に亡くなった。90歳だった。長く寝たきりで母が介護していた。父は自分がガンに罹っていると知った時、祖父の耳元で囁いた。
「俺はガンだそうだ。あまりもたない。うちのヤツ一人に親父の面倒を見させるのは酷だ。親父もそろそろ切りをつけろよ。」
それから一週間後に、祖父は老齢による大往生を遂げた。

 父は祖父一人の手で育てられた。父を産んだ女性は、父がまだ乳飲み子だった頃に別の男と出奔して、それ以来父は一度も彼女に会ったことがなかった。だが、父が40歳を越えた頃、やっとマイホームを建てた直後に一度だけ、彼女は我が家に電話をしてきたことがあった。父が勤めに出ている真っ昼間で、母が電話を取った。
彼女が名乗った時、母はこう言ったそうだ。
「お声が妹さんにそっくりですね」
父は母方の叔母とは付き合いがあったのだ。彼女は、きっとその叔母に電話番号を聞いたのだろう。息子が自分の家を持ったと。
「姉妹ですから」
と彼女は笑ったそうだ。何の用か、といぶかしがる母に、
「元気かな、と思ってかけてみただけです。」
と言って切った。それきりだったが、母からその話しを聞いた父は、一言「親父の耳には入れるな」と言った。

 祖父の死から一年もたたぬうちに死の床についた父は、母に自分の母親を残して逝くことが心配だと告げた。彼女が遠く離れた土地の老人ホームに入っていることは、叔母から聞いて知っていた。
母は施設がなんとかするだろう、と言った。実はその頃、施設から自宅に何度か電話がかかってきていた。彼女が危篤状態なので身内に来て欲しいと言うのだった。母は「主人も死にかけています。誰もそちらへは行けません」と断っていた。
 最後の夜、父は呟いた。
「お袋を一人にしていけない」
70歳の父はそう言い残して、旅立った。

翌日施設から電話があった。彼女が亡くなったと言う連絡だった。
「故人が200万円ほど残していますが、どうされますか?」
問われて母は即答した。
「主人も子供たちも会ったことのない人の遺産を戴く意志はありません。葬儀などでお金が入り用でしょう。どうぞそちらで全額お使いください。」
施設は「寄付として使わせて頂きます。ありがとうございます。」と言った。

「お父さんは年寄りを全部連れて行ってくれたね」
「お母さんに、これから楽をしなさい、ってことだよ」

子供たちに励まされて、母は、仏壇の遺影に囁いた。

「自由をありがとう。でも、もうちょっといてくれたら良かったのに。」

スピン・オフ

 今度のドラマ企画、”ある晴れた日”のスピン・オフにしようと思うんです。”ある晴れた日”はなかなか好評でしてね、登場人物たちは主人公以外もそれぞれ個性的でファンが付いたんですよ。 
 このままじゃ、もったいないですから。
 新しい主人公は、”ある晴れた日”の主人公の生き別れた双子の妹の予定です。
 え、同じ女優じゃ、スピン・オフの意味がない? 杉田聖子の二役じゃないかって?
 違いますよ。 よく似た女性を見つけたんです。 ええ、まだ出演交渉してませんけどね、演(や)れそうですよ。
ちょっとこっちの方は下品な感じなんです。生き別れの方はスラムで苦労して育ったと言う設定で・・・それで、見つけた彼女もその、なんと言うか、下品なイメージが魅力的でしてね・・・
 あ、ちょっと待ってください、今、交渉に行ってるスタッフから連絡が入りました・・・





 すみません、プロデューサー
彼女は駄目でした。
杉田聖子がすっぴんで歩いてたんです・・・もしもし??

考古学者??

「先生、昨日亡くなったドンブリ島文化研究の権威バカヤマ先生の遺品なんですが・・・」

「ん? どうしたんだね?」

「ドンブリ島人の若者が自分の物だから返して欲しいと言うのです。」

「バカヤマ先生のコレクションは全て遺跡から収集した物だろ。 個人の持ち物はないよ。」

「それが、彼が言うのは、あれは遺跡ではなくて、今でも使っている現役の墓所だそうです。」

「なんだって? あんなに荒廃していてジャングルに呑み込まれかかっていると言うのに?」

「ジャングルなので、草刈りをしても一月でああなっちゃうんだそうです。 それに、ほんの二月前に葬った彼のお祖父さんの骨も無くなっているそうです。」

「そうか・・・その若者にバカヤマ先生の遺品を見てもらって、該当する物を返還する手続きをしてあげなさい。 もし貸してもらえる物があれば、研究用にお借りするように。」

「わかりました」

「あ、それから・・・そこのロッカーに入れてある骨格サンプルも返してあげてくれ。多分、彼のお祖父さんだ。」

ノック

 ドンドンっと乱暴にドアを叩く音がした。
 こんな夜更けに誰だ。 室内の仲間と顔を見合わせた。

「どなたです?」

 声をかけると、外にいる者が返答した。

「寒いんです。寒いんです。入れてください。」

 外は木枯らしが吹いていた。山奥の小屋だ。強盗未遂で逃亡している人間が隠れているところに助けを求めて来たヤツがいる。
 仲間が目配せした。
 入れてやれ。うまくやり過ごせば、きっと通報することもないだろう。

 ドアを開いた。ザッと風が吹きこんだが、外には誰もいなかった。

「なんだ?」

とつぶやいたら、すぐ後ろで・・・ほんとに耳元で・・・声が囁いた。

「寒いんです。寒いんです。戸を閉めてもらえますか。」

海岸通りの家

 念願の海のそばの家を手に入れた。寝室が二つだけ、リビングとダイニングとキッチンとバスルーム、それにユーティリティーだけの小さな家だったけれど、一人暮らしなんだから、十分広かった。住所は海岸通り4丁目13番地。ちょっとかっこいいじゃない?
 それに、なんてったって、すごく安かったんだもの。
 引っ越しの時、運送屋さんは、荷物を置くと、逃げるように帰って行った。コーヒーでも入れようと思ったのに。
 近所の人は何かこそこそ井戸端会議。挨拶すると笑顔で返事してくれたけど、ちょっとよそよそしい。何だろ?

 夕陽が素晴らしい。寝室の一つを書斎にして、仕事の合間に海を眺めて休憩する。太陽が水平線に沈んでいくのを見ながらコーヒーを飲むなんて、最高の贅沢だ。
「こんな風景を私たちだけで楽しむなんて、もったいない気がしない?」
と呟いて振り返ると、彼女がそこにいて、にっこり笑って応えた。
 彼女はこの部屋の住人だ。晴れた日の夕方だけ現れる。首から上だけのロングヘアの若い女性。きっと夕陽が好きで好きでここに居着いたのだろう。

 ダイニングで料理をしていると、子供たちが走り回っている。「子供たち」と言っても、見えないから、そう呼ぶだけ。2人だか3人だか、パタパタと足音がする。カップにミルクを入れてテーブルに置くと静かになる。喉を潤すと、次の日まで静かにしている。

 庭には麦わら帽子を被った男の人がいる。フェンスのペンキを塗り直していると、そばに立ってじっと見ていた。
「この色、気に入ってくれるといいのですが」
と言ったら、うんうんと頷いて消えた。外装に手を加えると、いつも見にやってくる。だから、センスの良い色を選ぼうと努力している。

 リビングには読書が好きな女の人がいて、ソファに座って本を読んでいる。本のページはちっとも進まないが、私がテレビを見ていると、一緒に見て、笑っている。

 海岸通りの家は、素晴らしい。一人暮らしだが、ちっとも退屈しない。

#1348

からくり人形

 暗い玄関に入って、「ごめんください」と言う。

 カタカタ・・・と音がして、廊下の奥からからくり人形が茶碗を載せたお盆を運んでくる。

 目の前でピタっと停まったので、茶碗を受け取って、一口飲んで、返す。

 からくり人形は回れ右して、カタカタ・・・と音をたてて去って行きかける。

「すごいよね、あんな物を昔の人が発明したなんて」

と呟くと、人形が振り返って、ニタッと笑った。



#1364