父は死にかけていた。末期ガンで、あと数日ももたないと、誰の目にも明らかだった。
看護していた母の疲労が酷くならないうちに父は逝こうとしていた。
「お祖父さんの一周忌までもたないね」
と母が呟いた。
祖父は11ヶ月前に亡くなった。90歳だった。長く寝たきりで母が介護していた。父は自分がガンに罹っていると知った時、祖父の耳元で囁いた。
「俺はガンだそうだ。あまりもたない。うちのヤツ一人に親父の面倒を見させるのは酷だ。親父もそろそろ切りをつけろよ。」
それから一週間後に、祖父は老齢による大往生を遂げた。
父は祖父一人の手で育てられた。父を産んだ女性は、父がまだ乳飲み子だった頃に別の男と出奔して、それ以来父は一度も彼女に会ったことがなかった。だが、父が40歳を越えた頃、やっとマイホームを建てた直後に一度だけ、彼女は我が家に電話をしてきたことがあった。父が勤めに出ている真っ昼間で、母が電話を取った。
彼女が名乗った時、母はこう言ったそうだ。
「お声が妹さんにそっくりですね」
父は母方の叔母とは付き合いがあったのだ。彼女は、きっとその叔母に電話番号を聞いたのだろう。息子が自分の家を持ったと。
「姉妹ですから」
と彼女は笑ったそうだ。何の用か、といぶかしがる母に、
「元気かな、と思ってかけてみただけです。」
と言って切った。それきりだったが、母からその話しを聞いた父は、一言「親父の耳には入れるな」と言った。
祖父の死から一年もたたぬうちに死の床についた父は、母に自分の母親を残して逝くことが心配だと告げた。彼女が遠く離れた土地の老人ホームに入っていることは、叔母から聞いて知っていた。
母は施設がなんとかするだろう、と言った。実はその頃、施設から自宅に何度か電話がかかってきていた。彼女が危篤状態なので身内に来て欲しいと言うのだった。母は「主人も死にかけています。誰もそちらへは行けません」と断っていた。
最後の夜、父は呟いた。
「お袋を一人にしていけない」
70歳の父はそう言い残して、旅立った。
翌日施設から電話があった。彼女が亡くなったと言う連絡だった。
「故人が200万円ほど残していますが、どうされますか?」
問われて母は即答した。
「主人も子供たちも会ったことのない人の遺産を戴く意志はありません。葬儀などでお金が入り用でしょう。どうぞそちらで全額お使いください。」
施設は「寄付として使わせて頂きます。ありがとうございます。」と言った。
「お父さんは年寄りを全部連れて行ってくれたね」
「お母さんに、これから楽をしなさい、ってことだよ」
子供たちに励まされて、母は、仏壇の遺影に囁いた。
「自由をありがとう。でも、もうちょっといてくれたら良かったのに。」
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