2008年5月11日日曜日

ユウナさん

 ユウナさんは、僕が契約社員として就職したスーパーで商品管理をしているパートの小母さんさんだった。年齢は僕の母より若いけど、なんだかとっても年寄りみたいな落ち着き過ぎた雰囲気の女性だったんだ。
 ちょっと変わった人だった。独りで商品を陳列棚に並べながら、誰かと会話していた。品物の向きだとか、明日の予定だとか、兎に角空気相手にぶつぶつと。
 他の従業員は黙っていたけど、きっと薄気味悪かったんだろう。あまり親しい人はいなかった様だ。でも、休憩時間なんかに、普通の会話をみんなとしていたから、世間ずれしている訳でもなさそうだったし、精神状態がどうか、なんてこともなさそうだった。
 ユウナさんは、万引きを捕まえるのが得意だった。中学生や主婦なんてのが犯人なんだけど、ユウナさんはまるで彼等が犯罪を犯すことを知っていたみたいに現行犯で捕まえた。一月に4人も捕まえたこともある。
 流石に店長も表彰式の時に、「逆恨みされないように」と心配していたが、それがある日現実になった。

 僕は自転車置き場でユウナさんが5,6人の中学生に囲まれているのを目撃した。前の週にユウナさんに捕まった少年がリーダー格のグループで、この界隈では結構ワルで通っていた連中だ。
 僕は声をかけるべきだった。一応大人なんだし、声をかければ彼等は逃げたかも知れない。だけど、体格の良い彼等に僕はびびってしまい、店に戻って助けを呼ぼうか、ここで叫ぼうか、と迷ってしまった。早くしないとユウナさんが殴られる。中学生たちがユウナさんに手を上げた時だ。
 いきなり、彼等が後方へすっ飛んだ。漫画で主人公が複数の敵をぶっ飛ばすシーンがあるだろ?あんな感じだった。
 彼等はコンクリートの地面に尻餅を突いて、暫く呆然としていた。僕も何が起きたのかわからなかった。それから、少年たちは急に喚きながら立ち上がり、転がるように逃げて行った。誰かが、「鬼婆!」と叫んでいた。
 僕が立ち尽くしていると、ユウナさんがそばに来た。ちょっと恐い顔で尋ねた。
「見たの?」
「え?」
「さっきの、見た?」
「ええ・・・先週の万引き少年どもですよね?」
 僕のとんちんかんな返答に、ユウナさんは、ニコッと笑った。そして黙って店に戻って行った。

 次の日、ユウナさんは僕に朝の挨拶をした後で囁いた。
「おめでとう、正社員採用よ。」
 僕は何のことかわからなかったが、夕方、店長から同じことを聞かされた。
「来月から正社員だ。辞令は月初めの朝礼で与えるから、それまでは黙っていてくれ。ひょっとすると、本店勤務になるかも知れない。」
 僕はそれをユウナさんだけに伝えた。彼女が店長から聞かされていたのだと思ったから。ユウナさんは僕に尋ねた。
「本店に行きたい?」
「そりゃ・・・僕だってそれなりに野心はあるから。」
「じゃぁ、行かせてあげる。口止め料にね。」

 僕は正社員になり、本店に転勤になった。それ以来ユウナさんには会っていない。一度営業の合間に元の店に立ち寄ったら、もう彼女は退職してしまっていた。
 だから、今でもわからない。口止め料の意味が。

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