2009年8月20日木曜日

マンモグラフィー

現西脇市に住んでいた頃、35歳になると、町から婦人集団検診の案内が来た。子宮頸癌と乳癌の検診だ。
この頃の乳癌検診は、医師による触診だけだった。
しこりがあるので、市民病院でエコー検査を受けるように、と紹介状をもらった。
エコー検査は、外科で受け付けをしていた。
外科で受け付けて、別の遠くの部屋で検査を受ける。合理的でないなぁと思ったが、検査結果は「脂肪の塊です」だった。

加美町に引っ越してからも、触診だったが、合併して多可町になると、状況が変わった。
合併した三町の一つ、旧中町は、日赤が撤退した後の総合病院をもらい受けており、田舎町には珍しく大きな病院を持っていたのだ。それまで「無医村」に近かった加美町も、多可町になって病院持ちになれた訳だ。
赤十字病院には、マンモグラフィーがあった。乳房のレントゲンだ。血管まで見事に撮影される。多可町の婦人科検診は、このマンモグラフィーが「売り」となった。

検査当日、受付でお金を払うと、レントゲンコーナーへ案内される。そこで検査用服を渡され、ロッカールームで着替える。順番に呼ばれて撮影室に入ると、服を片方だけ脱いで、台の上に、おっぱいを載せる。

載せられるおっぱいがあることを感謝しよう。ぺたんこの胸だと、大変辛い検査だ。
検査技師のお兄さんが胸をつかんで引っ張って、撮影しやすいように、形を整えてくれる。
多分、お兄さんは女性の胸をつかんでいるなんて意識しないのだろう、まるでお餅を扱っているみたいだ。
台に乗せられた乳房は、上から板でプレスされる。
涙が出るほど痛い。
悲鳴を上げそうになるが、誰も叫ばないので、我慢する。
これ、ぺったんこも辛いが、巨乳はもっと痛いかも知れない。出来るだけ平らになるようにはさむのだから。

検査結果は一週間後。大学病院で診断するのだそうだ。

ところで、乳癌は、実は女性だけの病気ではない。
男性もほ乳類である限り、罹る病気だ。
しかし、男性の場合、変な面子があって、乳癌になる、なんて他人に知られたくないのだそうだ。その為に発見が遅れ、手遅れになることが多いとか。
また、乳癌です、と言いづらいので、公的には肺癌として公表するらしい。

男性にも検査を受けることを奨めたいが、男性の胸にマンモグラフィーは無理である。
だから、触診をお奨めする。触診は自分で出来る。

胸を撫でて、しこりを感じたら、病院に行きましょう。
婦人科に行く必要はありません。外科です。
「胸の筋肉に何か出来ているみたいです」
これだけでいいのです。

2009年8月18日火曜日

Y耳鼻科

10年以上前、スキーをしていて、頭から転倒して首を捻挫したことがあった。それから暫く右耳がぼこぼこと水音をたてて聞こえなくなった。
その時は、少林寺拳法師範の上司にマッサージしてもらって治ったのだが、それから何ヶ月かたってから、徐々に右耳が聞こえづらくなっていった。
なんだか分からないが、難聴だ。高音と低音が聞こえない。左耳は正常に聞こえるのに、右は聞こえないから、右側で人が話しても聞こえない。
苛立って、みょうにひねくれてしまう。

ところが、ある時、北野武の「本当は怖い家庭の医学」を、見るともなしに見ていたら、耳が聞こえなくなる症例と恐ろしさを紹介していた。

こりゃ、ほっておくと、いかんな。

Y耳鼻科が良い、と「不治の病」慢性鼻炎のKちゃんが言うので、休みの日に出かけた。
Kちゃんが、「Y医院、見たら笑うで」と言っていたが、どう言う意味か・・・?

行ってみると、綺麗なところ。
駐車場の周囲に垣根。
木製の門・・・引き戸・・・お医者さんで引き戸は珍しい・・・ガラガラと開けると、

「っらしゃい!」

と声をかけられそうな、カウンターに土間の待合室に畳敷きの待合コーナー・・・こ、ここは・・・


どう見たって蕎麦屋じゃねーーか?


そう、Y耳鼻科は、蕎麦屋をそのまま改装して医院にしていたのだ。
帳場がそのまま受付になっていて、食器棚がカルテの棚になっている。
厨房だったところが診察室。その奥に検査室。

優しそうな眼鏡の先生は私の耳を見て、
「あ〜、耳垢がたまっていますね。聞こえないのは、耳垢のせいですよ。」
「え”、耳垢ですか?」
「耳掃除の時に耳垢を押しこんじゃうんです。それがどんどん繰り返されて、耳が詰まるんです。素人は耳掃除しちゃ駄目なんですよ。耳垢って言うのは、自然に外へ出てくるんです。人間の体って、不要な物は出すように出来ているんです。それを無理に取っちゃ駄目なんですよ。」
そして先生は、これは素人では取れませんよ、と言って、ガリガリと耳垢を掻き出してくれた。最後にもう一度検査すると、ちゃんと聞こえるではないか!

これまでの10年間は何だったんだ?

「聞こえますか、良かったですね。」

と看護師さん。私が、耳垢が原因だったなんて恥ずかしい、と言うと、

「そんなこと、ないです。結構多いんですよ。耳掃除は本当はとても危険で難しいんです。」

一つ勉強になりました。

2009年8月15日土曜日

同窓会

今日は母校高校の同窓会だった。
行く前は、正直、面倒だった。2時間の運転は決して楽ではない。普段一車線しかない田舎国道を走っているので、西脇市を出た途端に二車線になるR175は、そのまま二車線かと思えばまた先細ったり・・・それでも三木市、神戸市西区までは我慢しよう。
垂水区の県道の走りにくいこと。
出たのが早朝だったので、今朝は走りやすかったが、帰路は案の定路上駐車でムカつく。
実家で正午まで母とだべって、お別れ。
垂水のコープの地下駐車場に入る。どう言う素材を使っているのか、無駄にタイヤの音が悲鳴の様に響く床。まるで乱暴運転してるみたいじゃありませんか?こっちは超低速で車庫入れしているだけですよ。

会場には、1時間半も早く着いてしまった。場所の確認だけして、別の場所で時間をつぶそうと、エレベーターに乗ってホテルの5Fに着いたら、もう受付が・・・
名簿のホッチキス留めだけお手伝いしました。(幹事のふり)

お腹ぺこぺこだが、食べようとすると話しかけられるので、食べられない。
握手もするし。
でも、なんだか我慢出来る。
在校中は目立たない生徒だったので、誰も思い出さないだろうと思っていたのに、案外声をかけてもらえて嬉しかった。
女子はほとんど名前と顔が結びつくのに、男子はわからない人が多い。
頭髪はともかくとして、顔が・・・丸みを帯びてしまった人が多いこと。
でも、それが生活苦でない証拠か?(笑

恩師。1年の時の担任F先生が鬼籍に入られたのは残念。かなり早い時期に逝ってしまわれたのは知っていたが、やはりこう言う場にいらっしゃらないのは哀しい。
来られなかった人、物故者となった友人、それぞれに思いを馳せて全員で黙祷。
国語の先生が随分縮んでしまわれた。若い頃も細い方だったが、すっかりお爺さんに・・・。
確か、私たちと同年齢のお嬢さんがおられたはずだが?
日本史の先生が、1年しか教わっていなかったのに、私を覚えてくださっていた。これは驚き。問題児ほど記憶に残ると言うが・・・?
数学の先生も杖をお供にされていた。奥様はお元気ですか、と尋ねたら、翁媼でお陰様で健在です、と仰った。奥様は、私の小学校2年の時の担任だ。
驚いたのは、学年主任のM先生。80になると仰ったが、とてもそうは見えない。30年前そのままのお姿ではないか。ご挨拶された口調も、かつてのまま。あの先生は魔物なのか?
担任は一番若かったので、今回も唯一の現役教師。ちょっとおでこが成長なさいましたね。
私たちに「早く50代になって仲間になれ」と仰って、教え子一同から笑いと顰蹙を買う?

校歌の斉唱は、予想以上に記憶していて、自分で驚いた。感無量。

二次会には出ずに帰ることにして、神戸駅のホームにいると、担任と名前を思い出せない先生(多分、H先生?)が来られた。挨拶すると、名前のわかない先生は担任に「ごゆっくり」と言って、別の車両へ。
担任と同じ電車。当然、お話する。
先生は吊り輪を持たれているが、私の位置の吊り輪は高く、手が届かない。仕方がないので、「昔取った杵柄」で、何にも掴まらずに立つ。先生の前でよろめいてたまるか!
しかし、JRは阪急より揺れる。
先生は現在勤務されている学校のお話などをされた。今の生徒はどうですか、と尋ねると、勤務地の生徒たちは進路の目標を定めて入ってくるので、教えやすいとのこと。
先生がモンスターペアレントやその子供たちに悩まされませんように。

あっと言う間に過ぎた二時間半。

また会えるといいね♪

2009年8月14日金曜日

松野牧場

子供の頃通っていた小学校の東側に松野牧場と言う小さな酪農家があった。
乳牛が20頭ばかり、小さな牛舎と運動場の中で暮らしていた。
時々学校帰りの児童らが立ち寄って、柵越しにその辺で摘んだ雑草を与えて遊んでいた。
垂水区のほとんどの家庭では、宅配の牛乳をこの松野牧場から引いていた。明治乳業やら森永乳業やらと言った「大手」もいたが、垂水区だけに限って言えば、松野牧場は健闘していたのだ。
一番のお得意は学校だったろう。
小学校でも中学校でも、給食の牛乳は松野牧場だった。
駅の売店で売っていた牛乳も松野牧場だった。
地域限定、でもしっかり根付いていた。

松野牧場がいつ引っ越したのか、知らない。
牧場の周辺に家がいっぱい建って、他所から来た住人が「牛が臭い」と苦情を言った。
牧場でも、牛の餌となる草を手に入れられなくなって、郊外へ移転を余儀なくされたのだろう。
牧場は小学校のそばから消えてしまったが、それでも実家には松野牧場のブランドの牛乳が宅配されていた。
やがて、実家から子供がいなくなり、牛乳の購入を止めた頃、牧場も廃業したのだろうか。
検索しても出てこなかった。
今出てくるのは、遠縁の人が同名の牧場を経営していると言う噂。
mixiで、「松野牧場ってあったよね?」と言う話題が出たことがあった。
松野牧場を知っている人、覚えている人、懐かしく思う人がいると言うことが嬉しかった。
牛乳が好きなのも、この牧場の味が美味しかったからだろうと思う。

2009年8月9日日曜日

雨の日のドライブ

所用があって福知山へ行った。雨が降る。先週の豪雨ほどではないが、一向に止む気配がない。
途中の国道や川の護岸が豪雨の傷跡を残し、崩落したり、えぐられたりしていた。
どこにも立ち寄る気分ではなく、昼食に出石蕎麦を食べ、用事を終えると家路をたどった。




雨に負けて落ちた若い栗の実。




雨は降り止まない。
うち捨てられた元バス停らしき小屋をフロントガラス越しに見る。
水滴を撮りたかったが、どうしてもカメラが無視したがる(笑




やながわ にロールケーキを買いに行ったら、新製品の「丹波ロール スフレ」が出ていたので、早速お買い上げ。





拡大。
ロールケーキより軽いと思ったけど、Cats君はきめ細かい分重いって言う。
それでも美味しかったぞ♪

日記をつけられない

長期間ログインしないとパスワードとか求められるのは、どこのブログも同じ。
ここのログインをすぐに出来るように、「独り言の部屋」に毎日食べた物を書くことにしたのだが、早くも躓いた。
毎日書くと言う習慣が苦手。

In long days you try to log into any blog they always demand your password from you.
I decided to write what I ate on 独り言の部屋 every day in order to login here easily but I already have been idle.
I am not good at doing something every day.

2009年7月24日金曜日

夢ではない

蒲団の中で目を閉じていると、妻が台所で朝食の準備をしている音がする。
炊飯器の蒸気を出す音、包丁で野菜を刻む音、鍋で何かが沸騰している・・・

目覚ましが鳴って、私は渋々起きる。途端に全ての音は消え、室内は暗く、誰もいない。勿論、台所に朝食の用意が出来ているはずもなく、私は食パンをトーストしてインスタントコーヒーで簡単に朝食を済ませ、勤めに出る。

妻が亡くなって、早くも10年たつ。
だが、彼女の念はまだ残っている。
毎朝、彼女は朝食の支度をしている。私が瞼を開ける前まで。
夕方、彼女は夕食の支度をしている。私が玄関のドアを開けるまで。
室内の照明が瞬時に消え、食事の匂いも消滅する。廻っていたはずの換気扇も停まる。
もしこれが、私だけの体験だったらなば、どんなに気が楽だろうか。
私の頭がおかしくなった、で済むのに。
しかし、これは私の家を訪問する全ての人が体験するのだ。
宅配業者や郵便屋は、昼間、私が仕事に出ている留守宅で、窓越しに彼女が掃除をしたり、洗濯物をベランダに干すのを目撃している。
近所の奥さんたちは庭先の彼女と挨拶を交わしている。
私には音しか聴かせてくれないのに、彼らは彼女と会って言葉まで交わすのだ。
こんな理不尽があるだろうか?
私が仕事に夢中になって家庭を顧みなかった復讐だろうか。
彼女が体調不良を訴えた時に、医者へ行け、と言ったきり、気遣いすらしなかった報いなのか。

身支度をして私が玄関で靴を履いていると、奥の部屋で、妻がカーテンを開ける音が聞こえた。
私は思いきって声をかけた。
「行ってきます」
もう何年も言わなかった言葉だったから、声がかすれてしまった。
返事を期待していなかった。しかし、
ドアを閉める直前、声が聞こえたような気がした。
「行ってらっしゃい」

私は、彼女が私を迎えに来るまで、頑張って声をかけ続けようと思った。