2021年4月22日木曜日

散歩 4

 義人の碑


夏梅太郎右衛門(?~1764/加美区熊野部)は、徳川家治治世、生野代官所の管轄下、過酷な租税に農民達は窮地に追われた。太郎右衛門は、人々の為情状を訴え、減租を嘆願した。代官所は「太郎右衛門自身の一命もって代えるなら」と言い、彼は「喜んで」と快諾、刑場の露と消えた。以後暴政は止んだ。人々は祠と顕彰碑を建立。

 処刑方法は火刑。

左は戦没者慰霊塔 英霊塔





火刑だったので、熱くない様にと、慰霊碑は水路で囲まれた「島」になっている。






水の流れは杉原川から取水され杉原川へ戻って行く。


2 件のコメント:

  1. 義人の話、ほぼ全てかな?必ずみんなの犠牲になって一人だけ処刑されるってパターンですね。謀反に加担した人間を全員処刑したら農村が成り立たないから代表者を処罰する・・・日本だけなんでしょうかね。

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    1. 夏梅さんは「自分を殺しても良いから村を助けてほしい」と訴えたそうですから。 代表者とその一族は処刑で、村人は助けると言うパターンでしょう。 一応江戸時代の法律で直訴は死刑と決まっていましたしね。

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